靖枝の出産に際して、まず最初にすべきは母子の状態をできるだけ回復することだった。<br> 精神に大きく作用する魔力を体内に取り入れることは、状態回復にそれなりの効果があった。<br> 魔力回復の腕輪には、魔力酔いを防ぐ以外の狙いもあったのだ。<br><br>異世界へ転移したあと、すぐに輸血をおこなった。<br> これには体液を介した魔力譲渡の意味合いもあるが、それ以上に重要なのが【健康体】スキルの限定的な付与だった。<br> 【健康体α】保持者の体液を体内に取り入れた者は、一時的に【健康体】スキルを得られることが、管理者の解析により判明しており、今回それは【鑑定+】を通じて陽一の知るところとなった。<br> カジノ店員のシャーロットから薬物中毒などの状態異常が消えたのは、この効果によるものだ。<br> そこから【健康体β】習得に至る経緯はまだ解明されていないが。<br> もし陽一と靖枝の血液型が違っていれば経口投与などが必要だったが、幸い同じだったため、より効率のいい輸血という手段をとることができた。<br> だれの血液かを秘匿するため、採血はシャーロットに頼んで事前に済ませておいた。<br><br>「んぅ...... ここ...... は......?」<br><br>輸血が終わって数分後には靖枝の意識が回復した。<br> 顔色も多少よくなり、心電図等での状態も万全とは言えないが、かなりましな状態になった。<br> そこからさらに実里の魔術で靖枝の状態を回復させ、いよいよ手術開始となる。<br><br>「麻酔は使わず、部分的な〈痛覚軽減〉をおこないます」<br><br>実里の魔術により、下半身の痛覚がほぼ無効化される。<br> 麻酔による痛みの除去は、こちらの世界で言えば『状態異常:麻痺』に近いものであり、痛覚を鈍麻させる以外にも様々な副作用があるため、今回は採用しなかった。<br> だが、決して麻酔が悪あくというのではなく、それよりも有効な手段がこちらの世界にはあるので、それを選択したまでのことだ。<br><br>「感覚はありますか?」<br><br>靖枝の腹に触れた医師が尋ねると、彼女は虚ろな瞳のまま、小さく頷いた。<br> 状態が回復したとはいえ、万全にはほど遠く、彼女の意識は朦朧としていた。<br><br>「これはどうです? 痛いですか?」<br><br>腹を強めにつねって尋ねる医師に対しては、首を横に振る。<br><br>「触られている感覚はある? ...... ふむう」<br><br>再び頷く靖枝の反応に、医師は短くうなった。<br><br>「一定以上の強い感覚のみを遮断しているのか...... おもしろい」<br>「先生、感心してないで始めないと」<br>「ああ、悪い」<br><br>同行したスタッフに窘められた医師は、靖枝の腹にメスを入れた。<br> その瞬間、少し離れた場所から手術を見守っていた彼女の両親が息を呑んだ。<br> 近年、術後の傷跡が目立ちづらいと言うことで、横に切開する例も増えているようだが、胎児娩出にかかる時間短縮など、少しでも安全性を高めるため、腹部の皮膚は縦に切開した。<br><br>「本当に、血が出ないんだな......」<br><br>実里が施した〈止血〉の魔術効果により、切開した場所からはほとんど出血がなかった。<br><br>「よし、これなら娩出まで問題はなさそうだ」<br><br>医師はそういって、さらに手術を進めていった。<br><br>○●○● <br><br>「とりあえずこれに着替えてくれ」<br><br>臨時の分娩室となった部屋の前に到着すると、陽一は【無限収納+】から取り出した手術着を渡した。<br> 一応【無限収納+】のメンテナンス機能を使って雑菌やウィルスは分離しており、このあたり一帯は部屋の前で待機していたオルタンスによる【浄化】がかけられていた。<br><br>「一応中に入る前にひとり呼んで、念のため滅菌してもらう必要があるんだけど」<br>「あ、必要ねぇッス」<br><br>アレクがそう言ったあと、辺りの空気が少しだけ変わったように、陽一は感じた。<br><br>「まさか、いま滅菌を?」<br>「ええ。 戦場じゃ衛生管理は重要ッスからね」<br><br>こちらの世界に転生して20年。 アレクはただ漫然と生きてきたわけではないようだ。<br> 陽一は用意していたインカムのスイッチを入れた。<br><br>「俺だ、陽一だ。 いまからひとり、術後のサポート要員を入れる。 滅菌済みだからそのまま迎え入れてくれ」<br>『了解』<br><br>医療スタッフのひとりが返答する。<br> 今回のプランで母子の命は確実に救えるのだが、術後の後遺症については多少の覚悟が必要だった。<br> この段階での追加要員ということで、後遺症の軽減に役立つ人員を新たに確保できたと、中の人たちは解釈してくれたようだ。<br><br>「東堂くん、いけるか?」<br>「うっす。 もう覚悟はできてるッス」<br><br>キャップとマスクのあいだから覗く目に迷いは見えない。<br><br>「あらあら目が怖いわよ? もっとリラックスしなさいな」<br><br>どうも緊張で固くなりすぎている様子のアレクを、オルタンスが窘める。<br><br>「彼女の言うとおりね。 アレク、もっと肩の力を抜いて。 あまり気負わず、素直な気持ちでいれば大丈夫よ」<br><br>ふたりの言葉に、アレクは大きく息を吐き、目元が幾分か穏やかになった。<br><br>「じゃあ、いってきます」<br><br>ドアを開けて中に入る。<br> 無機質な機械音を立てる、異世界に不似合いな電子機器。<br> テレビドラマでしか見たことのないような、手術衣を身にまとった数名の人たち。
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